母国を捨てる時は相当の覚悟が必要だよのススメ(3)
2004年6月17日 エッセイ
お土産を受け取った玲子は喜び、最初は懐かしそうにそれを見つめていたのだが、
懐かしすぎて切なくなってきたのだと思う。
玲子からしたらうちの母は羨ましすぎて憎らしい存在だったのかもしれない。
自分の力では何もできないのに、父と結婚しこうやってイギリスでの暮らしも手に入れた。
めちゃくちゃ裕福ってわけではないけど、そこそこ贅沢な暮らし。
それに日本が恋しくなったらいつでも一時帰国できるし、親戚や家族も喜んで迎えてくれる。
それに比べて玲子は日本の親とは勘当状態で家を飛び出してきた身。
帰る場所などない。
イギリス人との結婚で永住権は手に入れたものの、別にリッチなイギリス人というわけで
はないので
夫婦共働きで5歳の娘を育てていかないといけない。
夫とは好きで結婚したわけだしそれなりにうまくいっていたみたいだけど、
いくら英語はできても、やはり言葉の壁というか英語では伝えきれない日本語の微妙なニュアンスみたいなものはあったようだ。
そんな玲子の目に、能天気で悩みなんて英語が喋れないことくらいのもんだったうちの母はどう映っていたのだろう?
できればこんな女の存在は知らない方がよかったと思う。
知らなければ日本を思い出すこともなく、イギリス人の夫と自分なりの幸せが見つけられていたかもしれない。
だけどもう後には引き返せなかった。
もともと少々マイナス思考で浮き沈みの激しい性格だった玲子は、
この辛い現実を最悪な方向へ進めてしまったのだ。
その日は突然やってきた。
子供だった私にはあまり記憶がないほど突然の出来事だった。
英会話の日なのに玲子が来なくて、玲子の旦那から電話がかかってきた。
旦那は日本語が話せないので内容を理解するまでには少し時間がかかった。
玲子は自宅の寝室でロープで首を吊ったまま横たわっていた
あまりに突然の報告で母も私も呆然とした。
「玲子おばちゃん死んじゃったの?」
当時の私はほとんど初めて体験する人の死。
自分と関わった人がこの世から消えたという事実、それも自殺だったという残酷な事実に母はショックを隠しきれない様子だった。
玲子の性格は思い切りがよすぎた。
親に勘当されても留学を決意した時だってそうだ。
それに加え浮き沈みも激しかった。
うちの母みたいな思い切りの悪い芯の弱いグラグラした性格だったら、いくら辛くてもこんな思い切ったことは出来なかったと思う。
その方が幸せなのかもしれない。
決断力が良すぎるのも時に最悪の事態を招く。
玲子の葬儀には私も出席した。
キリスト教徒だったし、日本を捨てた身なのでクリスチャンのお墓に玲子の遺骨は埋められた。
うちの母もしばらくはポカンと穴が開いてしまったかのように暮らしていたが、
次第に時が経ちイギリスでの生活に慣れるので何かと忙しかったこともあり、このことは誰もあまり口にしなくなっていった。
残された旦那はその時は物凄くショックを受けていたが、そのうち今度はきっとイギリス人と再婚してやっていくのだろう。
残された子供だって母親のいない寂しさはそのうちボーイフレンドが癒してくれるだろう。
そうやって誰もがいつか玲子を忘れてしまうんだろう。
そう考えるとすごく虚しく感じた。
玲子の葬儀でうちの父がボソリと呟いたことがあった。
「玲子さんがこんなことをしてしまったのはお前(母)のせいだな」と。
母のせいでもあるし自分のせいでもある。
他人を見て羨むような人間は簡単に母国を捨てちゃいけない。
母国を捨てる時、親と縁を切る時は相当な覚悟が必要だ。
その覚悟ができないなら地道におとなしくささやかな幸せをせいぜい満喫するしかない。
これが当時弱冠8歳の私が学んだことだった。
すっかり玲子の物語になってしまったが、これは私の友達でダメ男Jhonとつきあっている園子の物語。
子供の頃の玲子の思い出が、園子の今の状態と私の中でかなりかぶった。
このまま園子をJhonについて行かせたら玲子と同じ道を辿ることになる。
園子は当時玲子が日本を捨てたのと同じ歳-18歳。
「園子を引き止めて」と天国から玲子が私に訴えかけてるような気が少しした。
園子は私の大切な友達だ。なんとかしなければ、、、
私は無我夢中で考えた。
今の私にできることってなに、、、?
(つづく)
懐かしすぎて切なくなってきたのだと思う。
玲子からしたらうちの母は羨ましすぎて憎らしい存在だったのかもしれない。
自分の力では何もできないのに、父と結婚しこうやってイギリスでの暮らしも手に入れた。
めちゃくちゃ裕福ってわけではないけど、そこそこ贅沢な暮らし。
それに日本が恋しくなったらいつでも一時帰国できるし、親戚や家族も喜んで迎えてくれる。
それに比べて玲子は日本の親とは勘当状態で家を飛び出してきた身。
帰る場所などない。
イギリス人との結婚で永住権は手に入れたものの、別にリッチなイギリス人というわけで
はないので
夫婦共働きで5歳の娘を育てていかないといけない。
夫とは好きで結婚したわけだしそれなりにうまくいっていたみたいだけど、
いくら英語はできても、やはり言葉の壁というか英語では伝えきれない日本語の微妙なニュアンスみたいなものはあったようだ。
そんな玲子の目に、能天気で悩みなんて英語が喋れないことくらいのもんだったうちの母はどう映っていたのだろう?
できればこんな女の存在は知らない方がよかったと思う。
知らなければ日本を思い出すこともなく、イギリス人の夫と自分なりの幸せが見つけられていたかもしれない。
だけどもう後には引き返せなかった。
もともと少々マイナス思考で浮き沈みの激しい性格だった玲子は、
この辛い現実を最悪な方向へ進めてしまったのだ。
その日は突然やってきた。
子供だった私にはあまり記憶がないほど突然の出来事だった。
英会話の日なのに玲子が来なくて、玲子の旦那から電話がかかってきた。
旦那は日本語が話せないので内容を理解するまでには少し時間がかかった。
玲子は自宅の寝室でロープで首を吊ったまま横たわっていた
あまりに突然の報告で母も私も呆然とした。
「玲子おばちゃん死んじゃったの?」
当時の私はほとんど初めて体験する人の死。
自分と関わった人がこの世から消えたという事実、それも自殺だったという残酷な事実に母はショックを隠しきれない様子だった。
玲子の性格は思い切りがよすぎた。
親に勘当されても留学を決意した時だってそうだ。
それに加え浮き沈みも激しかった。
うちの母みたいな思い切りの悪い芯の弱いグラグラした性格だったら、いくら辛くてもこんな思い切ったことは出来なかったと思う。
その方が幸せなのかもしれない。
決断力が良すぎるのも時に最悪の事態を招く。
玲子の葬儀には私も出席した。
キリスト教徒だったし、日本を捨てた身なのでクリスチャンのお墓に玲子の遺骨は埋められた。
うちの母もしばらくはポカンと穴が開いてしまったかのように暮らしていたが、
次第に時が経ちイギリスでの生活に慣れるので何かと忙しかったこともあり、このことは誰もあまり口にしなくなっていった。
残された旦那はその時は物凄くショックを受けていたが、そのうち今度はきっとイギリス人と再婚してやっていくのだろう。
残された子供だって母親のいない寂しさはそのうちボーイフレンドが癒してくれるだろう。
そうやって誰もがいつか玲子を忘れてしまうんだろう。
そう考えるとすごく虚しく感じた。
玲子の葬儀でうちの父がボソリと呟いたことがあった。
「玲子さんがこんなことをしてしまったのはお前(母)のせいだな」と。
母のせいでもあるし自分のせいでもある。
他人を見て羨むような人間は簡単に母国を捨てちゃいけない。
母国を捨てる時、親と縁を切る時は相当な覚悟が必要だ。
その覚悟ができないなら地道におとなしくささやかな幸せをせいぜい満喫するしかない。
これが当時弱冠8歳の私が学んだことだった。
すっかり玲子の物語になってしまったが、これは私の友達でダメ男Jhonとつきあっている園子の物語。
子供の頃の玲子の思い出が、園子の今の状態と私の中でかなりかぶった。
このまま園子をJhonについて行かせたら玲子と同じ道を辿ることになる。
園子は当時玲子が日本を捨てたのと同じ歳-18歳。
「園子を引き止めて」と天国から玲子が私に訴えかけてるような気が少しした。
園子は私の大切な友達だ。なんとかしなければ、、、
私は無我夢中で考えた。
今の私にできることってなに、、、?
(つづく)
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