母国を捨てる時は相当の覚悟が必要だよのススメ(6)
2004年6月20日 エッセイ
私は園子を裏切った。
園子の両親に園子の居場所を教えてしまったのだ。
逃亡者園子とJhonは関空で両親と鉢合わせ。
二人の夢の国・愛の場所への逃亡はあっけなく消えた。
・
・
・
Johnは一旦国に戻り、園子は大学を辞め、アパートも引き払って実家に戻った
、、、というより親に強引に戻された。
管理人はえらく怒っていて敷金礼金は返さなかったらしく、
私にもよく園子の愚痴をこぼしていたがそんな日々もやがて過ぎ、次の春まで私の隣の部屋は空き家のままだった。
私は間違ったことはしてないと思ったし今でもそう思う。
あれから4年。
24歳の園子は今どこでどんな暮らしをしているのだろうか。
地元の友達から風の便りで、園子はパン屋でアルバイトをしてアメリカに行くための資金を貯めているとかどうとかそんな噂を聞いたような聞いてないような。
忙しい日々に流され園子のことは薄れていった。
まるでイギリスで亡くなった玲子をみんなが次第に忘れてしまうように。
園子は裏切った私を憎んでいるだろう。
だけどどうして私があの時園子をアメリカに行かせなかったのか、いずれ園子にも分かる日が来る。
それが正しい道かどうかなんて誰にも分からない。
だけど私は正しい選択だったと信じている。
(完)
園子の両親に園子の居場所を教えてしまったのだ。
逃亡者園子とJhonは関空で両親と鉢合わせ。
二人の夢の国・愛の場所への逃亡はあっけなく消えた。
・
・
・
Johnは一旦国に戻り、園子は大学を辞め、アパートも引き払って実家に戻った
、、、というより親に強引に戻された。
管理人はえらく怒っていて敷金礼金は返さなかったらしく、
私にもよく園子の愚痴をこぼしていたがそんな日々もやがて過ぎ、次の春まで私の隣の部屋は空き家のままだった。
私は間違ったことはしてないと思ったし今でもそう思う。
あれから4年。
24歳の園子は今どこでどんな暮らしをしているのだろうか。
地元の友達から風の便りで、園子はパン屋でアルバイトをしてアメリカに行くための資金を貯めているとかどうとかそんな噂を聞いたような聞いてないような。
忙しい日々に流され園子のことは薄れていった。
まるでイギリスで亡くなった玲子をみんなが次第に忘れてしまうように。
園子は裏切った私を憎んでいるだろう。
だけどどうして私があの時園子をアメリカに行かせなかったのか、いずれ園子にも分かる日が来る。
それが正しい道かどうかなんて誰にも分からない。
だけど私は正しい選択だったと信じている。
(完)
母国を捨てる時は相当の覚悟が必要だよのススメ(5)
2004年6月19日 エッセイ
思った通り、翌朝園子の両親がアパートにやってきた。
怒りと言うより物凄く疲れた悲しそうな表情をしていた。
きっと昨晩あまり眠れなかったのだろう。
時既に遅しで園子はJhonと逃亡済み。携帯にかけても勿論出ない。
だいぶ警戒しているので非通知は勿論、公衆電話や見慣れない番号なら絶対取らないはずだ。
私がもし園子でもそうするだろう。
園子の親は私がかけたら出てくれるかもしれないとすがってきたが、
私はそういう協力の仕方はしたくなかったので断った。
この騒ぎを聞きつけ、うちのアパートの管理人がやってきた。
だが、状況が全く把握できないため洗いざらい話さなければならなかった。
女性専用で男性入室禁止を一応謳い文句にしているアパートなので、
Jhonと住んでいたという事実に管理人は激怒し、園子捜索の味方には全く使い物にならなかった。
管理人は完全なる大阪のおばちゃんタイプで人の話を聞かないしとんちんかんなことばかり何度も言うので
この一刻を争う緊急事態時に話しているには時間の無駄以外のなんでもなかった。
園子の親もそこまでバカではない。
さっさと見切りをつけて園子捜索に精を出していた。
仕事を持っている園子の両親は、毎晩片道3時間かけて自宅と園子のアパートとの往復をした。
その努力は見ていて涙ぐましくなるほどで、両親の必死の思いが痛かった。
そしてそれは次第にここまで親不孝な園子への軽蔑へと変わっていった。
私は園子の今の居場所は本当に分からなかった。
出て行くということだけは聞かされたけど、逃亡前夜は話してない。
だけど大学に行っていなかった園子は他に友達なんて皆無だったし、情報源は本当に私しかなかった。
私は園子が旅行会社に行くのに暇な時は付きあってあげたりしたし、
GETした航空券を園子は満足気に私に見せてきたので搭乗日(日本脱出のXデー)だけは知っていた。
その時、私は最後の切り札だけは確保しているというような不思議な安心感を感じた。
この最終手段を使う日が来るのかどうかはこの時、まだ私にも分からなかった。
Xデーまではまだ1週間くらいあった。
園子の逃亡劇が幕を開けて5日目くらい。
園子の両親はついに警察に捜索願のようなものを提出したらしい。
だけど警察は恋愛が絡むことにはほとんど手を出さない。
管理人と同じくらい役立たずだ。
Xデーは知らないがその日が迫っていることだけは察知できる様子の両親。
捜査は初めから充分必死だったが、ますます必死になってきた。
まるで時効を迎える犯罪者逮捕みたいだった。
犯罪は犯してないけれど、これだけ両親を裏切って心配させ、探させることは立派な犯罪のように思えた。
だとしたら私が園子のことを知っているのに言わないのは共犯という罪になるのではないか。
私は揺れていた。
どのみちどちらかを裏切ることになる。園子を裏切るか園子の両親を裏切るか。
次回ついにこの話に幕を下ろすことにしよう。。。
(つづく)
怒りと言うより物凄く疲れた悲しそうな表情をしていた。
きっと昨晩あまり眠れなかったのだろう。
時既に遅しで園子はJhonと逃亡済み。携帯にかけても勿論出ない。
だいぶ警戒しているので非通知は勿論、公衆電話や見慣れない番号なら絶対取らないはずだ。
私がもし園子でもそうするだろう。
園子の親は私がかけたら出てくれるかもしれないとすがってきたが、
私はそういう協力の仕方はしたくなかったので断った。
この騒ぎを聞きつけ、うちのアパートの管理人がやってきた。
だが、状況が全く把握できないため洗いざらい話さなければならなかった。
女性専用で男性入室禁止を一応謳い文句にしているアパートなので、
Jhonと住んでいたという事実に管理人は激怒し、園子捜索の味方には全く使い物にならなかった。
管理人は完全なる大阪のおばちゃんタイプで人の話を聞かないしとんちんかんなことばかり何度も言うので
この一刻を争う緊急事態時に話しているには時間の無駄以外のなんでもなかった。
園子の親もそこまでバカではない。
さっさと見切りをつけて園子捜索に精を出していた。
仕事を持っている園子の両親は、毎晩片道3時間かけて自宅と園子のアパートとの往復をした。
その努力は見ていて涙ぐましくなるほどで、両親の必死の思いが痛かった。
そしてそれは次第にここまで親不孝な園子への軽蔑へと変わっていった。
私は園子の今の居場所は本当に分からなかった。
出て行くということだけは聞かされたけど、逃亡前夜は話してない。
だけど大学に行っていなかった園子は他に友達なんて皆無だったし、情報源は本当に私しかなかった。
私は園子が旅行会社に行くのに暇な時は付きあってあげたりしたし、
GETした航空券を園子は満足気に私に見せてきたので搭乗日(日本脱出のXデー)だけは知っていた。
その時、私は最後の切り札だけは確保しているというような不思議な安心感を感じた。
この最終手段を使う日が来るのかどうかはこの時、まだ私にも分からなかった。
Xデーまではまだ1週間くらいあった。
園子の逃亡劇が幕を開けて5日目くらい。
園子の両親はついに警察に捜索願のようなものを提出したらしい。
だけど警察は恋愛が絡むことにはほとんど手を出さない。
管理人と同じくらい役立たずだ。
Xデーは知らないがその日が迫っていることだけは察知できる様子の両親。
捜査は初めから充分必死だったが、ますます必死になってきた。
まるで時効を迎える犯罪者逮捕みたいだった。
犯罪は犯してないけれど、これだけ両親を裏切って心配させ、探させることは立派な犯罪のように思えた。
だとしたら私が園子のことを知っているのに言わないのは共犯という罪になるのではないか。
私は揺れていた。
どのみちどちらかを裏切ることになる。園子を裏切るか園子の両親を裏切るか。
次回ついにこの話に幕を下ろすことにしよう。。。
(つづく)
母国を捨てる時は相当の覚悟が必要だよのススメ(4)
2004年6月18日 エッセイ
一晩考えても私に良い案は浮かばなかった。
そもそも私はいけないと思いつつ、なんだかんだでJhonと園子にけっこう協力していたのだ。
Jhonも園子の大切な友達ということで私にすごいよくしてくれて、
ご飯を奢ってくれたり英語の課題をやってくれたり。
今更いきなり敵になることなんてできない。。。
どうしよう。
日本にいるならまあまだ若いんだし、こんな関係もあってもいいかな、、って思うけど
親と縁を切るような形で海外へいくというのはどうしても止めなきゃいけないって思った。
恋を応援するのは簡単なことなのに、いけない恋を止めさせることがこれほどムズカシイことだったとは。。。
当時、松嶋菜々子とタッキーの「魔女の条件」というドラマが流行っていた。
というか私はそのドラマが好きで見ていた。
主題歌が宇多田の「First Love」だった。
教師松嶋菜々子が教え子タッキーとの恋を貫くという話。
親の反対がある禁断の恋というのが園子の恋と似ていたし、親近感を感じたみたいで園子もこのドラマははまってるらしかった。
このドラマをずっと見ていた人には分かると思うが、観覧車事件というのがあった。
これは松嶋とタッキーが二人で遊園地の観覧車に乗っていて、
その間に松嶋の親友役の西田尚美がタッキーの母(黒木瞳)を連れてきて
観覧車を降りた二人を直撃みたいなドキドキシーンだった。
これとよく似たシーンが園子の関空事件だ。
6月頃だっただろうか、園子はJhonと旅立つ準備を着々と始めていた。
旅行会社に度々足を運び少しでも安い航空券を探したりの毎日だった。
私も相談されたり、暇な時は一緒に旅行会社に行ってあげたりもした。
だけど神様はこの二人を簡単に海外逃亡なんてさせなかった。
ちゃんと園子を引き止める鎖を用意していたのだ。。。
入学以来園子は大学を休みまくっていたし必須項目の授業も登録してなかったので
大学からそれを伝える葉書が送られたのだ。
こういう葉書はうちの大学の場合、まず親元に送られることになっていた。
これを見た園子の親は仰天したに違いない。
そして脳裏に浮かぶ顔はただ一人。
あの男だ。
まだ娘と続いていたのか。。。
信じていた我が子に裏切られる親の気持ち、絶望感はきっと計りしれない。
ここで園子の親がとった行動は、焦る気持ちが先走るのは当然のことなのだがあまり賢いものではなかった。
まず、園子の親はこの信じられない事実が本当なのかを確かめるため園子に電話してしまったのだ。
真実を確かめたい時、電話はとても無意味なものである。
抜き打ちで出向いて確かめるのが一番確実で賢い方法だ。
でも園子の親は車で片道3時間というわざわざ出向くには少し遠い場所に住んでいた。
この片道3時間という微妙な距離がこの事件を複雑で難易なものにしてしまった。
この電話で園子たちは海外逃亡の時間稼ぎができることになったのだ。
私が大学に行ってないことが、Jhonとまだ続いていることが親にばれてしまった。
親が逆上している。
明日の朝にでもこっちにやってくる。
そうしたらもうJhonとは一緒にいられなくなる。
園子は短い時間で色んなことを考えたのだろう。
そして園子は荷物をまとめ、Jhonを連れて夜逃げ同然でアパートを出た。
ここから園子とJhonの逃亡劇が幕を開けた。。。
(つづく)
そもそも私はいけないと思いつつ、なんだかんだでJhonと園子にけっこう協力していたのだ。
Jhonも園子の大切な友達ということで私にすごいよくしてくれて、
ご飯を奢ってくれたり英語の課題をやってくれたり。
今更いきなり敵になることなんてできない。。。
どうしよう。
日本にいるならまあまだ若いんだし、こんな関係もあってもいいかな、、って思うけど
親と縁を切るような形で海外へいくというのはどうしても止めなきゃいけないって思った。
恋を応援するのは簡単なことなのに、いけない恋を止めさせることがこれほどムズカシイことだったとは。。。
当時、松嶋菜々子とタッキーの「魔女の条件」というドラマが流行っていた。
というか私はそのドラマが好きで見ていた。
主題歌が宇多田の「First Love」だった。
教師松嶋菜々子が教え子タッキーとの恋を貫くという話。
親の反対がある禁断の恋というのが園子の恋と似ていたし、親近感を感じたみたいで園子もこのドラマははまってるらしかった。
このドラマをずっと見ていた人には分かると思うが、観覧車事件というのがあった。
これは松嶋とタッキーが二人で遊園地の観覧車に乗っていて、
その間に松嶋の親友役の西田尚美がタッキーの母(黒木瞳)を連れてきて
観覧車を降りた二人を直撃みたいなドキドキシーンだった。
これとよく似たシーンが園子の関空事件だ。
6月頃だっただろうか、園子はJhonと旅立つ準備を着々と始めていた。
旅行会社に度々足を運び少しでも安い航空券を探したりの毎日だった。
私も相談されたり、暇な時は一緒に旅行会社に行ってあげたりもした。
だけど神様はこの二人を簡単に海外逃亡なんてさせなかった。
ちゃんと園子を引き止める鎖を用意していたのだ。。。
入学以来園子は大学を休みまくっていたし必須項目の授業も登録してなかったので
大学からそれを伝える葉書が送られたのだ。
こういう葉書はうちの大学の場合、まず親元に送られることになっていた。
これを見た園子の親は仰天したに違いない。
そして脳裏に浮かぶ顔はただ一人。
あの男だ。
まだ娘と続いていたのか。。。
信じていた我が子に裏切られる親の気持ち、絶望感はきっと計りしれない。
ここで園子の親がとった行動は、焦る気持ちが先走るのは当然のことなのだがあまり賢いものではなかった。
まず、園子の親はこの信じられない事実が本当なのかを確かめるため園子に電話してしまったのだ。
真実を確かめたい時、電話はとても無意味なものである。
抜き打ちで出向いて確かめるのが一番確実で賢い方法だ。
でも園子の親は車で片道3時間というわざわざ出向くには少し遠い場所に住んでいた。
この片道3時間という微妙な距離がこの事件を複雑で難易なものにしてしまった。
この電話で園子たちは海外逃亡の時間稼ぎができることになったのだ。
私が大学に行ってないことが、Jhonとまだ続いていることが親にばれてしまった。
親が逆上している。
明日の朝にでもこっちにやってくる。
そうしたらもうJhonとは一緒にいられなくなる。
園子は短い時間で色んなことを考えたのだろう。
そして園子は荷物をまとめ、Jhonを連れて夜逃げ同然でアパートを出た。
ここから園子とJhonの逃亡劇が幕を開けた。。。
(つづく)
母国を捨てる時は相当の覚悟が必要だよのススメ(3)
2004年6月17日 エッセイ
お土産を受け取った玲子は喜び、最初は懐かしそうにそれを見つめていたのだが、
懐かしすぎて切なくなってきたのだと思う。
玲子からしたらうちの母は羨ましすぎて憎らしい存在だったのかもしれない。
自分の力では何もできないのに、父と結婚しこうやってイギリスでの暮らしも手に入れた。
めちゃくちゃ裕福ってわけではないけど、そこそこ贅沢な暮らし。
それに日本が恋しくなったらいつでも一時帰国できるし、親戚や家族も喜んで迎えてくれる。
それに比べて玲子は日本の親とは勘当状態で家を飛び出してきた身。
帰る場所などない。
イギリス人との結婚で永住権は手に入れたものの、別にリッチなイギリス人というわけで
はないので
夫婦共働きで5歳の娘を育てていかないといけない。
夫とは好きで結婚したわけだしそれなりにうまくいっていたみたいだけど、
いくら英語はできても、やはり言葉の壁というか英語では伝えきれない日本語の微妙なニュアンスみたいなものはあったようだ。
そんな玲子の目に、能天気で悩みなんて英語が喋れないことくらいのもんだったうちの母はどう映っていたのだろう?
できればこんな女の存在は知らない方がよかったと思う。
知らなければ日本を思い出すこともなく、イギリス人の夫と自分なりの幸せが見つけられていたかもしれない。
だけどもう後には引き返せなかった。
もともと少々マイナス思考で浮き沈みの激しい性格だった玲子は、
この辛い現実を最悪な方向へ進めてしまったのだ。
その日は突然やってきた。
子供だった私にはあまり記憶がないほど突然の出来事だった。
英会話の日なのに玲子が来なくて、玲子の旦那から電話がかかってきた。
旦那は日本語が話せないので内容を理解するまでには少し時間がかかった。
玲子は自宅の寝室でロープで首を吊ったまま横たわっていた
あまりに突然の報告で母も私も呆然とした。
「玲子おばちゃん死んじゃったの?」
当時の私はほとんど初めて体験する人の死。
自分と関わった人がこの世から消えたという事実、それも自殺だったという残酷な事実に母はショックを隠しきれない様子だった。
玲子の性格は思い切りがよすぎた。
親に勘当されても留学を決意した時だってそうだ。
それに加え浮き沈みも激しかった。
うちの母みたいな思い切りの悪い芯の弱いグラグラした性格だったら、いくら辛くてもこんな思い切ったことは出来なかったと思う。
その方が幸せなのかもしれない。
決断力が良すぎるのも時に最悪の事態を招く。
玲子の葬儀には私も出席した。
キリスト教徒だったし、日本を捨てた身なのでクリスチャンのお墓に玲子の遺骨は埋められた。
うちの母もしばらくはポカンと穴が開いてしまったかのように暮らしていたが、
次第に時が経ちイギリスでの生活に慣れるので何かと忙しかったこともあり、このことは誰もあまり口にしなくなっていった。
残された旦那はその時は物凄くショックを受けていたが、そのうち今度はきっとイギリス人と再婚してやっていくのだろう。
残された子供だって母親のいない寂しさはそのうちボーイフレンドが癒してくれるだろう。
そうやって誰もがいつか玲子を忘れてしまうんだろう。
そう考えるとすごく虚しく感じた。
玲子の葬儀でうちの父がボソリと呟いたことがあった。
「玲子さんがこんなことをしてしまったのはお前(母)のせいだな」と。
母のせいでもあるし自分のせいでもある。
他人を見て羨むような人間は簡単に母国を捨てちゃいけない。
母国を捨てる時、親と縁を切る時は相当な覚悟が必要だ。
その覚悟ができないなら地道におとなしくささやかな幸せをせいぜい満喫するしかない。
これが当時弱冠8歳の私が学んだことだった。
すっかり玲子の物語になってしまったが、これは私の友達でダメ男Jhonとつきあっている園子の物語。
子供の頃の玲子の思い出が、園子の今の状態と私の中でかなりかぶった。
このまま園子をJhonについて行かせたら玲子と同じ道を辿ることになる。
園子は当時玲子が日本を捨てたのと同じ歳-18歳。
「園子を引き止めて」と天国から玲子が私に訴えかけてるような気が少しした。
園子は私の大切な友達だ。なんとかしなければ、、、
私は無我夢中で考えた。
今の私にできることってなに、、、?
(つづく)
懐かしすぎて切なくなってきたのだと思う。
玲子からしたらうちの母は羨ましすぎて憎らしい存在だったのかもしれない。
自分の力では何もできないのに、父と結婚しこうやってイギリスでの暮らしも手に入れた。
めちゃくちゃ裕福ってわけではないけど、そこそこ贅沢な暮らし。
それに日本が恋しくなったらいつでも一時帰国できるし、親戚や家族も喜んで迎えてくれる。
それに比べて玲子は日本の親とは勘当状態で家を飛び出してきた身。
帰る場所などない。
イギリス人との結婚で永住権は手に入れたものの、別にリッチなイギリス人というわけで
はないので
夫婦共働きで5歳の娘を育てていかないといけない。
夫とは好きで結婚したわけだしそれなりにうまくいっていたみたいだけど、
いくら英語はできても、やはり言葉の壁というか英語では伝えきれない日本語の微妙なニュアンスみたいなものはあったようだ。
そんな玲子の目に、能天気で悩みなんて英語が喋れないことくらいのもんだったうちの母はどう映っていたのだろう?
できればこんな女の存在は知らない方がよかったと思う。
知らなければ日本を思い出すこともなく、イギリス人の夫と自分なりの幸せが見つけられていたかもしれない。
だけどもう後には引き返せなかった。
もともと少々マイナス思考で浮き沈みの激しい性格だった玲子は、
この辛い現実を最悪な方向へ進めてしまったのだ。
その日は突然やってきた。
子供だった私にはあまり記憶がないほど突然の出来事だった。
英会話の日なのに玲子が来なくて、玲子の旦那から電話がかかってきた。
旦那は日本語が話せないので内容を理解するまでには少し時間がかかった。
玲子は自宅の寝室でロープで首を吊ったまま横たわっていた
あまりに突然の報告で母も私も呆然とした。
「玲子おばちゃん死んじゃったの?」
当時の私はほとんど初めて体験する人の死。
自分と関わった人がこの世から消えたという事実、それも自殺だったという残酷な事実に母はショックを隠しきれない様子だった。
玲子の性格は思い切りがよすぎた。
親に勘当されても留学を決意した時だってそうだ。
それに加え浮き沈みも激しかった。
うちの母みたいな思い切りの悪い芯の弱いグラグラした性格だったら、いくら辛くてもこんな思い切ったことは出来なかったと思う。
その方が幸せなのかもしれない。
決断力が良すぎるのも時に最悪の事態を招く。
玲子の葬儀には私も出席した。
キリスト教徒だったし、日本を捨てた身なのでクリスチャンのお墓に玲子の遺骨は埋められた。
うちの母もしばらくはポカンと穴が開いてしまったかのように暮らしていたが、
次第に時が経ちイギリスでの生活に慣れるので何かと忙しかったこともあり、このことは誰もあまり口にしなくなっていった。
残された旦那はその時は物凄くショックを受けていたが、そのうち今度はきっとイギリス人と再婚してやっていくのだろう。
残された子供だって母親のいない寂しさはそのうちボーイフレンドが癒してくれるだろう。
そうやって誰もがいつか玲子を忘れてしまうんだろう。
そう考えるとすごく虚しく感じた。
玲子の葬儀でうちの父がボソリと呟いたことがあった。
「玲子さんがこんなことをしてしまったのはお前(母)のせいだな」と。
母のせいでもあるし自分のせいでもある。
他人を見て羨むような人間は簡単に母国を捨てちゃいけない。
母国を捨てる時、親と縁を切る時は相当な覚悟が必要だ。
その覚悟ができないなら地道におとなしくささやかな幸せをせいぜい満喫するしかない。
これが当時弱冠8歳の私が学んだことだった。
すっかり玲子の物語になってしまったが、これは私の友達でダメ男Jhonとつきあっている園子の物語。
子供の頃の玲子の思い出が、園子の今の状態と私の中でかなりかぶった。
このまま園子をJhonについて行かせたら玲子と同じ道を辿ることになる。
園子は当時玲子が日本を捨てたのと同じ歳-18歳。
「園子を引き止めて」と天国から玲子が私に訴えかけてるような気が少しした。
園子は私の大切な友達だ。なんとかしなければ、、、
私は無我夢中で考えた。
今の私にできることってなに、、、?
(つづく)
母国を捨てる時は相当の覚悟が必要だよのススメ(2)
2004年6月15日 エッセイ
大学に進学して一人暮らしを始めたことで、園子は親に一切知られることなくJhonとの恋愛にのめり込むことができるようなった。
園子が一人暮らしを始めたという朗報を知ったJhonが日本にやってきて園子のアパートに転がり込んだのだ。
前回述べたが、園子のアパートは私の隣のアパートというより隣の部屋。
オイオイ。いい加減にしてくれよというかんじだっただろうか。
当時は私も大学生活を始めたばっかだったから何かと忙しくてあんま当時の気持ちを覚えてない。。。
大学にずっといて、幸いアパートに帰るのは毎晩けっこう遅かった。
園子もうちのアパートは女性専用で、管理人も一階に住んでいたからそれなりに警戒していてけっこう外出したり、
いてもかなりひっそりと生活してくれていたので助かった。
でもこの生活は長くは続かなかった。。。
Jhonのビザが切れるからだっただろうか、Jhonは母国に戻らなければいけなくなっていた。
この恋愛に完全にのめり込んでいた園子はJhonと離れられない、一緒にアメリカに行くと言っていた。
園子は高校時代の1年間の留学でかなり外国志向になっていた。
日本の大学に進学したのは、ただ親と離れた所で一人暮らしをしたかったからそのダシにたまたまうちの大学を選んだだけだった。
それで受かっちゃう所がスゴイっていうかそんなんで受かるのかうちの大学は、、、と思うと悲しくなったけど
実際英語さえできればとりあえず受かっちゃう大学なので仕方ない。
園子の部屋は隣だったから私もよく遊びに行った。
だけど園子の部屋は殺風景というかなんというか、ちっとも生活感みたいなものがなかった。
その時から私は感じていた。
この子はここで大学生活を送る気はない。この子が旅立つ日はそう先ではないなと。
そしてそれは破滅への道だと感じていた。
いずれ園子が不幸になることは目に見えている。
できれば友達として止めたかった。
ここでやっと題目の意味を明かすことになるのだが、
私は日本を捨てて外人と結婚し不幸になった人を実際見たことがある。
これは私が8歳の時の話。
物心はさすがについていたけど、恋愛には全く目覚めていなかった頃。
父の仕事の転勤で私の家族はイギリスのとある田舎町で暮らしていた。
私は現地の小学校に通っていたのだが、母は専業主婦で暇だったので英語を習うことにした。
うちの母は本当に英語が話せないのでイギリス人講師に習うのは不可能と判断し、日本人の人に来てもらうことにした。
彼女の名前は玲子(仮名)にしておこう。
玲子は18の時、親の反対を押し切って単身渡英した。
当時、うちの母と似たような年齢だったからそんな昔になかなかのヤリ手だ。
しかもそこで出会ったイギリス人と結婚し、5歳くらいの子供もいた。
私は母が玲子に英語を習っている間、その5歳の女の子と遊んでいたような気がする。
ある時、私達家族は日本に一時帰国した。
その間母は玲子の英会話はお休みしたし、玲子は英会話だけじゃなくて便利な店や病院や色々生活で必要な情報を教えてくれたから日頃のお礼の意も込めてお土産を買って帰った。
どんなお土産だったかは全く覚えてないが、このお土産が玲子を破滅の道へと追いやることになったのだった。。。
(つづく)
園子が一人暮らしを始めたという朗報を知ったJhonが日本にやってきて園子のアパートに転がり込んだのだ。
前回述べたが、園子のアパートは私の隣のアパートというより隣の部屋。
オイオイ。いい加減にしてくれよというかんじだっただろうか。
当時は私も大学生活を始めたばっかだったから何かと忙しくてあんま当時の気持ちを覚えてない。。。
大学にずっといて、幸いアパートに帰るのは毎晩けっこう遅かった。
園子もうちのアパートは女性専用で、管理人も一階に住んでいたからそれなりに警戒していてけっこう外出したり、
いてもかなりひっそりと生活してくれていたので助かった。
でもこの生活は長くは続かなかった。。。
Jhonのビザが切れるからだっただろうか、Jhonは母国に戻らなければいけなくなっていた。
この恋愛に完全にのめり込んでいた園子はJhonと離れられない、一緒にアメリカに行くと言っていた。
園子は高校時代の1年間の留学でかなり外国志向になっていた。
日本の大学に進学したのは、ただ親と離れた所で一人暮らしをしたかったからそのダシにたまたまうちの大学を選んだだけだった。
それで受かっちゃう所がスゴイっていうかそんなんで受かるのかうちの大学は、、、と思うと悲しくなったけど
実際英語さえできればとりあえず受かっちゃう大学なので仕方ない。
園子の部屋は隣だったから私もよく遊びに行った。
だけど園子の部屋は殺風景というかなんというか、ちっとも生活感みたいなものがなかった。
その時から私は感じていた。
この子はここで大学生活を送る気はない。この子が旅立つ日はそう先ではないなと。
そしてそれは破滅への道だと感じていた。
いずれ園子が不幸になることは目に見えている。
できれば友達として止めたかった。
ここでやっと題目の意味を明かすことになるのだが、
私は日本を捨てて外人と結婚し不幸になった人を実際見たことがある。
これは私が8歳の時の話。
物心はさすがについていたけど、恋愛には全く目覚めていなかった頃。
父の仕事の転勤で私の家族はイギリスのとある田舎町で暮らしていた。
私は現地の小学校に通っていたのだが、母は専業主婦で暇だったので英語を習うことにした。
うちの母は本当に英語が話せないのでイギリス人講師に習うのは不可能と判断し、日本人の人に来てもらうことにした。
彼女の名前は玲子(仮名)にしておこう。
玲子は18の時、親の反対を押し切って単身渡英した。
当時、うちの母と似たような年齢だったからそんな昔になかなかのヤリ手だ。
しかもそこで出会ったイギリス人と結婚し、5歳くらいの子供もいた。
私は母が玲子に英語を習っている間、その5歳の女の子と遊んでいたような気がする。
ある時、私達家族は日本に一時帰国した。
その間母は玲子の英会話はお休みしたし、玲子は英会話だけじゃなくて便利な店や病院や色々生活で必要な情報を教えてくれたから日頃のお礼の意も込めてお土産を買って帰った。
どんなお土産だったかは全く覚えてないが、このお土産が玲子を破滅の道へと追いやることになったのだった。。。
(つづく)
母国を捨てる時は相当の覚悟が必要だよのススメ(1)
2004年6月14日 エッセイ
私は友達を裏切ったことがある。
とてもひどい裏切りだったかもしれない。
これは私が大学に入ってすぐくらいの頃のお話。
高2の時から仲良かった友達が私と同じ大学に入学した。
しかも私の隣のアパートというより隣の部屋。
彼女はとても明るい子で色んな話があったし一緒にいて楽しかった。
名前は園子(仮名)にしておこう。
園子は英語がすごく出来てよく宿題を手伝ってもらったし、CDやビデオもよく貸してくれたし
カラオケで私が洋楽を歌うようになったきっかけは園子が歌っていたからかもしれない。。。
そんな大好きな友達を何故裏切ったのか。。。
園子は高校の時1年間留学をしていて、ホームステイをしたんだけどそこのお父さんとできてしまった。
名前はJhon(仮名)にしておこう。
ホームステイ先の息子ならともかくお父さん。。。
私にとってはかなりタブーというかあり得ない。
お父さんだからほんと私や園子のお父さんくらいの年齢。
Jhonは妻とは園子との関係がばれて園子の帰国後、離婚の危機に陥ってしまった。離婚調停中ってやつかな。
園子ってすごいヤリ手。。。高校生なのに外人と不倫なんて。
当時17歳だった私は同じ歳の園子がすごく大人に思えた。
だけど決して尊敬はしていなかった。
Jhonがそんないい男にはどうしても思えなかったのだ。
園子はまだ17歳、今までつきあった男は一人いたかいないかそんなとこ。
それがどうして外人の、ましてお父さん並みの年齢のバツイチになりそうなオヤジとつきあわなくてはいけないのか
さっぱり理解できなかった。
他にいくらでも出会いあるじゃん?って。
それだけならまだしもJhonは金遣いも荒く相当女たらしらしく、妻から三行半を押されたようなかんじだった。
それでたまたま日本からホームステイにやってきた女の子に手を出した。
妻と離婚調停中の身ならホームステイなんか受け入れるなよ、、、
と思うけどそこはアメリカ、ホームステイって受け入れるとけっこうなお金になるんですよ。
それをビジネスにしてる人もいるくらい。
そういう家庭に当たっちゃう留学生は不幸だな〜と思うけどこれが現実だもん仕方ない。
それが嫌なら大学の寮か自分でアパート借りるかシャエハウスするしかない。私はそっちをオススメする。
そんな話はどーでもいいんだけど園子のことについて。
ホストマザー(Jhonの妻)からJhonの悪態ぶりを教える手紙が園子の家に何度か届いた。
さすがホストマザー!と第三者の私は思ったんだけど
当事者の園子は、Jhonを私に取られたから妻は妬いてるんだ、、、と勝手な勘違い。
いやいや、Johnの妻はJhonという自分の情けない亭主=ダメ男に騙されそうになってるあなたを元ホストマザーとして忠告してくれてるのに。
完全に周りが見えてない園子の恋愛。そこがやっぱ17歳だ。
園子の両親は当然大反対。
つきあってたことは手紙や電話や、Jhonは日本にも何回か来てた(母国に居場所がなくて日本へ逃亡??)から
知っていたとは思うけど、とっくに別れたと思っていたらしい。
そりゃそうだ。まさか自分の育てた娘がそんなバカな恋愛にのめりこむはずがないって普通の親なら思うだろう。
だが、園子の未熟だが真っ赤に燃えさかる情熱の炎は消えてはいなかった。。。
(つづく)
とてもひどい裏切りだったかもしれない。
これは私が大学に入ってすぐくらいの頃のお話。
高2の時から仲良かった友達が私と同じ大学に入学した。
しかも私の隣のアパートというより隣の部屋。
彼女はとても明るい子で色んな話があったし一緒にいて楽しかった。
名前は園子(仮名)にしておこう。
園子は英語がすごく出来てよく宿題を手伝ってもらったし、CDやビデオもよく貸してくれたし
カラオケで私が洋楽を歌うようになったきっかけは園子が歌っていたからかもしれない。。。
そんな大好きな友達を何故裏切ったのか。。。
園子は高校の時1年間留学をしていて、ホームステイをしたんだけどそこのお父さんとできてしまった。
名前はJhon(仮名)にしておこう。
ホームステイ先の息子ならともかくお父さん。。。
私にとってはかなりタブーというかあり得ない。
お父さんだからほんと私や園子のお父さんくらいの年齢。
Jhonは妻とは園子との関係がばれて園子の帰国後、離婚の危機に陥ってしまった。離婚調停中ってやつかな。
園子ってすごいヤリ手。。。高校生なのに外人と不倫なんて。
当時17歳だった私は同じ歳の園子がすごく大人に思えた。
だけど決して尊敬はしていなかった。
Jhonがそんないい男にはどうしても思えなかったのだ。
園子はまだ17歳、今までつきあった男は一人いたかいないかそんなとこ。
それがどうして外人の、ましてお父さん並みの年齢のバツイチになりそうなオヤジとつきあわなくてはいけないのか
さっぱり理解できなかった。
他にいくらでも出会いあるじゃん?って。
それだけならまだしもJhonは金遣いも荒く相当女たらしらしく、妻から三行半を押されたようなかんじだった。
それでたまたま日本からホームステイにやってきた女の子に手を出した。
妻と離婚調停中の身ならホームステイなんか受け入れるなよ、、、
と思うけどそこはアメリカ、ホームステイって受け入れるとけっこうなお金になるんですよ。
それをビジネスにしてる人もいるくらい。
そういう家庭に当たっちゃう留学生は不幸だな〜と思うけどこれが現実だもん仕方ない。
それが嫌なら大学の寮か自分でアパート借りるかシャエハウスするしかない。私はそっちをオススメする。
そんな話はどーでもいいんだけど園子のことについて。
ホストマザー(Jhonの妻)からJhonの悪態ぶりを教える手紙が園子の家に何度か届いた。
さすがホストマザー!と第三者の私は思ったんだけど
当事者の園子は、Jhonを私に取られたから妻は妬いてるんだ、、、と勝手な勘違い。
いやいや、Johnの妻はJhonという自分の情けない亭主=ダメ男に騙されそうになってるあなたを元ホストマザーとして忠告してくれてるのに。
完全に周りが見えてない園子の恋愛。そこがやっぱ17歳だ。
園子の両親は当然大反対。
つきあってたことは手紙や電話や、Jhonは日本にも何回か来てた(母国に居場所がなくて日本へ逃亡??)から
知っていたとは思うけど、とっくに別れたと思っていたらしい。
そりゃそうだ。まさか自分の育てた娘がそんなバカな恋愛にのめりこむはずがないって普通の親なら思うだろう。
だが、園子の未熟だが真っ赤に燃えさかる情熱の炎は消えてはいなかった。。。
(つづく)